書き起こしてみた。

思えば割とずっと苦しい気持ちだったと思う。


小さなことをたくさん気にしてビクビクしながら過ごし、嫌われたくなくて取り繕ったりして。


もはや自分がどうしたいかさえわからなくなっていた。



そんな時に最近、彼氏と喧嘩をした。




「お前は自分の意思で動いてないだろ」





なんだか心に突っかかった。



なんでだろう。

私はそういうつもりが一切なかった。






これを機に書き出してみる。



最初に言っておくと、母や家族のせいとは思っていない。


仕方ないことだし、私の元々の性格上引っ込み思案というのもあるので。






親の言うとうりにするのは当たり前だと思っていたし、自分なんかが意見を言うなんて偉そうなことできないと思っていた。


どうせ本音を話せば、みんな私から離れていくと思ったから自分に仮面をかぶせた。仮面の上に仮面を被せていった。



好き、大好き、ずっと一緒、愛してる、という言葉を言ったら必ず離れていくと思って言わなかった。



どう思う?って聞かれたら自分の考えを何重にもオブラートに包んで返した。


絵に描いたようないい子を演じた。


口答えをしなかった。


後から大変になりそうなものは避けていった。







でも確かに心の中では泣いて助けを求めていた。


認めて欲しかった。



確かなものが欲しかった。


否定されたくなかった。



ずっと怖くて勇気が出せなかった。









とりあえず、私がこうなったのは幼少期が原因かもしれない。


私の家族は、父、母、祖父、祖母、私、弟、の6人家族でした。



私の母がアダルトチルドレンという病気?だった。


らしい。


らしい、というのも私は今でもよく理解していない。なぜかといえば、父とか家族が私にあまりその話をしたがらないからだった。私も追求しなかった。追求したら、怖かったから。



母はその病気のせいで、人と関わるのが苦手だった。


人っていうのは家族も含まれる。



それと時間を守るのが苦手だし、嘘をついてしまったり、小言をぽろっといってしまうとか。


幼少期、いつも母と祖母祖父で毎日のように話し合いと喧嘩を繰り返していた。


そのたびに私は、母が「何かしたんだろう」と思って見ていた。



日常茶飯事だったし、子供だったし、よくわからなかった。



母が帰ってくる時間を守らなかったりすると、よくそうなったのだけはわかっていた。


だって、私も母とお出かけして時間を守らないで帰ってきたら私も一緒に怒られたから。



でも、私は「たしかに私も時間がわかるのだから母に言うべきだった」と反省を毎回のようにしていた。



でも、時間を教えることができなかったのは純粋に母と子どもで水入らずで出かけるのが楽しかったからだと思う。


ちょっと時間を過ぎようものなら祖母から電話が来るし、正直ゆっくりと母と出かけられなかった。



あと父と母と私と弟4人で出かけるときは、私はいつもヒヤヒヤしていた。


弟は小さいのでワガママ期だし、母の行動にもヒヤヒヤするので、私は出かけるとき気が気じゃなかった。


とりあえず父さんの機嫌をとるのに精一杯だった。


その為、心配させないように学校の辛いこととかあんまり言わないようにしていた。



家族になんでも喋るわけでもなかった。

嫌なこととか自分から話したことはきっと少ないきがする。


本当はもっと気にかけて欲しかったし、話も聞いて欲しかったし、ワガママも言ってみたかったけど。


わざといたずらしたりするほど、私は素直でもなかったんです。まったく可愛げのない子ども…笑

 


こんな調子だったので、怒られることにビクビクする毎日で、あんまり大きなこともせず学校でもおとなしくしていた。


この時点で、私は母のように怒られたくなかったことがわかる。



だけど、母が大好きだった。


親子だから話は合うし、色々な話をした。

一緒にお風呂に入って色々な話をするのが大好きだった。


母にはなんでも話した。


母が一番の私の理解者だった。



まあ、長風呂するとまだ入ってるのかって怒られるのが毎回だったけど。






そんな大好きな母でしたが、私が高校三年生の時に離婚して離れ離れになった。



理由は、多分母の浮気。



あの日、部活が終わって母に迎えの車をお願いしようとした時、母が電話に出なかった。


「おかしいな、」って思って、家に電話したから祖父が出た。




祖父はめったに怒らないんですが、この日は怒っていた。

なんとか祖父に迎えにきてもらいどうしたのか聞くと、



「母が車の鍵を無くした」という。




私は「またいつものか」なんて呑気に考えていたんだけど。



だけど、家に帰ったらまた様子が違って。


まず、父、祖母が尋常じゃないくらいキレる。



私が帰ってきたときは、祖母しかいなかったけど、「車の鍵を無くした」以外に「嘘をついていた」と言っていた。



最初意味がわからなかったけど、あとあとわかった。



父が血相を変えて帰ってきた時に、大きな声で怒鳴られて、私は言われた。



「お前の母親は他の男と遊んでたんだ!」って。




いや、流石に高3の私も流石にショックだった。


何にも言えなくて、寝室に逃げた。



家族の怒鳴り声と泣き声を聞きながら震え、布団にくるまって静かに泣いた。





でもこうなることはきっと決まってだと思う。だんだん脆くなっていく関係をずっと取り繕っていたのは、母ではなく父と祖父母だったし。





だから、その気持ちもわかるので離婚することを聞かされた時に「嫌だ」とは言わず、「わかった」と言った。



本当は嫌だった…と感じたのは後のことだった。


一番信頼してる人がいなくなったから。


こんなことを書くと最低とわかってるけど、あの日、もうなんとも思わなかった。





反抗期もこないで、家族にも友達にも気持ちを閉ざす日々が続いた。


何に救われたわけではないけど、気にしなくなるまでずっと耐えていた。










まあ、こんな調子なんでそりゃ言われますよ「自分の意思で動いてないだろ」.って。





だってここまで書いて見て、本気でぶつかることができるはずの家族さえも、本音を言えてなかった。嫌われたくないので言わなかった。



顔色ばかり気にして、自分の意思で動くことさえできてない。



なんでこんなに苦しいのかと思うのは、誰にも心の内を話せていないからだろう。



あと、自分の意思で動いていないから人のせいにしそうになる。




さて、彼氏になんて言おう。



今からでも間に合うだろうか、自分の気持ちを探して伝えないと。


オブラートを剥がすのは大変そうだ。


書き起こしてみた。

思えば割とずっと苦しい気持ちだったと思う。


小さなことをたくさん気にしてビクビクしながら過ごし、嫌われたくなくて取り繕ったりして。


もはや自分がどうしたいかさえわからなくなっていた。



そんな時に最近、彼氏と喧嘩をした。




「お前は自分の意思で動いてないだろ」





なんだか心に突っかかった。



なんでだろう。

私はそういうつもりが一切なかった。






これを機に書き出してみる。



最初に言っておくと、母や家族のせいとは思っていない。


仕方ないことだし、私の元々の性格上引っ込み思案というのもあるので。






親の言うとうりにするのは当たり前だと思っていたし、自分なんかが意見を言うなんて偉そうなことできないと思っていた。


どうせ本音を話せば、みんな私から離れていくと思ったから自分に仮面をかぶせた。仮面の上に仮面を被せていった。



好き、大好き、ずっと一緒、愛してる、という言葉を言ったら必ず離れていくと思って言わなかった。



どう思う?って聞かれたら自分の考えを何重にもオブラートに包んで返した。


絵に描いたようないい子を演じた。


口答えをしなかった。


後から大変になりそうなものは避けていった。







でも確かに心の中では泣いて助けを求めていた。


認めて欲しかった。



確かなものが欲しかった。


否定されたくなかった。



ずっと怖くて勇気が出せなかった。









とりあえず、私がこうなったのは幼少期が原因かもしれない。


私の家族は、父、母、祖父、祖母、私、弟、の6人家族でした。



私の母がアダルトチルドレンという病気?だった。


らしい。


らしい、というのも私は今でもよく理解していない。なぜかといえば、父とか家族が私にあまりその話をしたがらないからだった。私も追求しなかった。追求したら、怖かったから。



母はその病気のせいで、人と関わるのが苦手だった。


人っていうのは家族も含まれる。



それと時間を守るのが苦手だし、嘘をついてしまったり、小言をぽろっといってしまうとか。


幼少期、いつも母と祖母祖父で毎日のように話し合いと喧嘩を繰り返していた。


そのたびに私は、母が「何かしたんだろう」と思って見ていた。



日常茶飯事だったし、子供だったし、よくわからなかった。



母が帰ってくる時間を守らなかったりすると、よくそうなったのだけはわかっていた。


だって、私も母とお出かけして時間を守らないで帰ってきたら私も一緒に怒られたから。



でも、私は「たしかに私も時間がわかるのだから母に言うべきだった」と反省を毎回のようにしていた。



でも、時間を教えることができなかったのは純粋に母と子どもで水入らずで出かけるのが楽しかったからだと思う。


ちょっと時間を過ぎようものなら祖母から電話が来るし、正直ゆっくりと母と出かけられなかった。



あと父と母と私と弟4人で出かけるときは、私はいつもヒヤヒヤしていた。


弟は小さいのでワガママ期だし、母の行動にもヒヤヒヤするので、私は出かけるとき気が気じゃなかった。


とりあえず父さんの機嫌をとるのに精一杯だった。


その為、心配させないように学校の辛いこととかあんまり言わないようにしていた。



家族になんでも喋るわけでもなかった。

嫌なこととか自分から話したことはきっと少ないきがする。


本当はもっと気にかけて欲しかったし、話も聞いて欲しかったし、ワガママも言ってみたかったけど。


わざといたずらしたりするほど、私は素直でもなかったんです。まったく可愛げのない子ども…笑

 


こんな調子だったので、怒られることにビクビクする毎日で、あんまり大きなこともせず学校でもおとなしくしていた。


この時点で、私は母のように怒られたくなかったことがわかる。



だけど、母が大好きだった。


親子だから話は合うし、色々な話をした。

一緒にお風呂に入って色々な話をするのが大好きだった。


母にはなんでも話した。


母が一番の私の理解者だった。



まあ、長風呂するとまだ入ってるのかって怒られるのが毎回だったけど。






そんな大好きな母でしたが、私が高校三年生の時に離婚して離れ離れになった。



理由は、多分母の浮気。



あの日、部活が終わって母に迎えの車をお願いしようとした時、母が電話に出なかった。


「おかしいな、」って思って、家に電話したから祖父が出た。




祖父はめったに怒らないんですが、この日は怒っていた。

なんとか祖父に迎えにきてもらいどうしたのか聞くと、



「母が車の鍵を無くした」という。




私は「またいつものか」なんて呑気に考えていたんだけど。



だけど、家に帰ったらまた様子が違って。


まず、父、祖母が尋常じゃないくらいキレる。



私が帰ってきたときは、祖母しかいなかったけど、「車の鍵を無くした」以外に「嘘をついていた」と言っていた。



最初意味がわからなかったけど、あとあとわかった。



父が血相を変えて帰ってきた時に、大きな声で怒鳴られて、私は言われた。



「お前の母親は他の男と遊んでたんだ!」って。




いや、流石に高3の私も流石にショックだった。


何にも言えなくて、寝室に逃げた。



家族の怒鳴り声と泣き声を聞きながら震え、布団にくるまって静かに泣いた。





でもこうなることはきっと決まってだと思う。だんだん脆くなっていく関係をずっと取り繕っていたのは、母ではなく父と祖父母だったし。





だから、その気持ちもわかるので離婚することを聞かされた時に「嫌だ」とは言わず、「わかった」と言った。



本当は嫌だった…と感じたのは後のことだった。


一番信頼してる人がいなくなったから。


こんなことを書くと最低とわかってるけど、あの日、もうなんとも思わなかった。





反抗期もこないで、家族にも友達にも気持ちを閉ざす日々が続いた。


何に救われたわけではないけど、気にしなくなるまでずっと耐えていた。










まあ、こんな調子なんでそりゃ言われますよ「自分の意思で動いてないだろ」.って。





だってここまで書いて見て、本気でぶつかることができるはずの家族さえも、本音を言えてなかった。嫌われたくないので言わなかった。



顔色ばかり気にして、自分の意思で動くことさえできてない。



なんでこんなに苦しいのかと思うのは、誰にも心の内を話せていないからだろう。



あと、自分の意思で動いていないから人のせいにしそうになる。




さて、彼氏になんて言おう。



今からでも間に合うだろうか、自分の気持ちを探して伝えないと。


オブラートを剥がすのは大変そうだ。


だってお通夜みたいだから。

こんにちは。はじめまして。



私は約3年間、超特急を推し続けてきました。


きっかけはほんの些細なこと、DISH//と一緒に活動していた彼らがとても気になったから。

その時の私は元気が無くて、毎日が辛くて、何もかも投げ出したくてしょうがなかったけれど、彼らのおかげで元気が出ました。


そんなこんなで、恩を返したいという建前、本当は超特急が大好きになってしまったので私は応援しはじめました。




そしてあの日、ボーカルのコーイチくんが脱退という発表を受けました。




何度もメールを確認したし、日付だって確認した、なんなら友達に「今日って4月?」と確認した、(「お前の頭はお花畑か?」と言われた)

何度確認しても一月だった。




とにかくショックすぎて頭が回らなくて、その日は早めに寝ました。

朝早く起きて、めざましテレビを見たらこーちゃんは脱退すると出ていたのでやっと現実を受け止め、軽く病みかけ、、、




なんで?という思いが大きかった。

なにがあったのかなんてもちろんわからなかったけど、いち早くブログを更新してくれたリーダーには感謝しかない(誰目線)

全員のブログを読みました。


納得していないように思えた8号車は私だけではないはず。

だからこそ、私たちは不安になり色々な憶測をしますよね。


そしてもう一つ。


なぜか、彼の名前が浮上しました。


ごめんなさい、巻き込みたくないので名前は出したくありませんでしたが…


井出卓也くん。


コーイチのことを新入りと言っていた彼のこと。



私は井出卓也を私が中学生の時から知っています。


なぜかというと、彼はもう解散してしまったバンドグループの1人だからです。

ココア男。というバンド。

私はそのバンドグループが大好きだったからもちろんよく覚えていました。


でもなぜ、彼が浮上したのでしょう?



コーイチと仲が良かったから、以前に書いたブログのことを言及されてしまったんですね。


でも仲が良いって知った時は本当に嬉しかった。


彼を責めたいわけではないです。

もう一つ言っておく、こーちゃんのことを責めたいわけではありません。




むしろ、私は言いたい。


これを言ったら一部の8号車、井出卓也さんのファンに怒られると思うけれど言っておきたい。




井出卓也は悪い人ではないことを。




なんでそう言い切れる?と思ったと思います。

私もそう思う。



私はただ彼のことが好きだったから。そう思うだけかもしれません。



でも、彼はね。


もう解散してしまったココア男。のツイッターに今でも出てきては、いうんです。



久しぶりーって。元気ー?って。


もう解散して、◯年たったねって。


そして、彼は自分の近況を報告してくれるんです。


俺ね、今ね…って。


彼はそのグループで末っ子でした。

とっても可愛い笑顔と甘い顔でラップをするんです。



解散してしまってからは私も色々なものにハマってしまい、龍雅のことなどはあまり知りませんが、今でもこうして前のグループに戻ってきて伝えてくれるのは、私の中では彼くらいしか知らないんです。


ショックでした。


洗脳とか、取られたとか、言われているのが。



8号車に喧嘩を売るつもりで書いたわけではありませんし、井出卓也さんのファンを擁護したくて書いたわけではありません。



ご存知の通り、井出卓也さんはグループと事務所を去年付でやめています。




悲しいのはお互い一緒だと思います。




そして、井出卓也と組むって決まったわけでもないです。


 


こーちゃんの言葉を待ちましょう。

それしかできないんですよね、





最後に


私は6人が前を向いているのに、取り残されたように、こーちゃんの姿に振り向きたくありません。

もちろん悲しいし、悔しい思いではあるけれど。

私も一緒に前を向かないといけないなって6人のブログを読んで思いました。





最初に見たら1人足りないって泣きたくなると思うんですけど、せめて、寂しいねってメソメソするのは今だけ許してくれますよね、?




あと、早くこのお通夜みたいなTL.なんとかしたいのでこーちゃん、言葉、待ってます。




誰も、吉野晃一がどのような道に進むのかはわかりません。よ。





なーんも事実を知らないオタクの独り言でした。


ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。